諸葛孔明の戦法と楠木正成
神人・楠木正成シリーズ第三弾。
よろしければ、今までの記事をお読みください。
1. なぜ、今、楠木正成なのか?
2. 楠木正成数百騎で数万に対抗する ~赤坂城の戦い~
楠木正成は自害したと敵をあざむいて見事に赤坂城を脱出します。
楠木正成が、なぜ「神人」といわれるまでの人物になったのか?
うち一つの理由はその天才的な戦略家であったことです。
おそらく、日本の歴史の中では指折りです。
その戦い方は中国の歴史上最強の戦略軍師といわれた
「諸葛孔明」に似ていたと言われています。
今回はそのエピソードを少し紹介しましょう。
※
赤坂城から見事に脱出した楠木正成の一行数百騎。
しかし、城から出たばかりで食料も軍備もありません。
どうするか?
敵から奪うしかありません。
正成は地元農民などの情報ネットワークを駆使して、
敵が本陣から兵糧を運んでくるという情報をつかみます。
敵の兵糧輸送隊の道に伏兵を置いて、兵糧を奪いました。
それだけではなく、敵の兵士の俵や服も奪います。
なんのためか?
もちろん、正成にはある狙いがありました。
敵軍から奪った服装を着て、敵の兵糧輸送隊の第二陣を襲ったのです。
自らの軍と同じ服装をしているので、敵は味方と敵の区別がつきません。
敵軍は城に逃げ帰ったのですが、それに乗じて楠木軍も敵の城になだれ込みます。
誰が味方か同士かわからないため、敵同士で相打ちがはじまります。
その混乱に乗じて楠木正成は城の外から攻め入ります。
ちなみに、この時、敵将であった湯浅定仏は楠木正成に心酔して後に味方になったということ
「楠木正成が生きてた」という情報をつかみ恐れおののく幕府軍は新たな軍数千騎を差し向けます。
数では圧倒的に劣る正成軍ですが、見事にそれを退けます。
そこで幕府が正成追討のために新たに選んだ武将は勇猛で有名な宇都宮公綱でした。
宇都宮軍は初めは数百騎。
それまで何千騎という軍を退けてきた楠木軍の中には
「数百騎なら余裕でしょ!」というムードもあったようです。
しかし、正成は言います。
「合戦の勝負は大勢小勢によらず。
志士の志を一つにするか否かである。
兵法にも『大敵を見ては欺き、小敵を見ては畏れよ』とある。
おそらく、小勢で挑んでくる宇都宮公一軍の中に、生きて帰ろう、と思うものはあるまい。
そういう者が七百騎でも志を一つにして戦えば、かなりの脅威になる。
我々が命を削って戦っても大半の兵は討たれるだろう。
これから戦いは長い。これからの先で必要となる味方はここで討たれるわけにはいかない。
ここは一度退いて、相手の面目も立てて、四~五日して敵を取り囲んで周囲を火で囲めば、敵は神経を疲れさせて引き上げるであろう」
と。
正成の読み通りになりました。
正成はいったん敵を引き上げて、自分の領地に敵をおびき寄せます。
そこで、野武士や農民たちを動員して、出来る限り大量の火を焚きます。
「いったい、ここには何万の軍がいるんだ…」
と震え上がる敵軍。
しかも、攻めてくる気配もありません。
三日三晩、鎧も解かず緊張し続けた敵軍は疲弊して引き上げてしまいました。
このあたりの戦法が、諸葛孔明にソックリなのです。
【今回のポイント】
1. 戦争は情報戦
2. 絶対に敵を侮らない