羽賀ヒカルの北極流占い

正成の最期 ~武士としての美しき生き様~


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楠木正成シリーズ第六弾。


楠木正成は戦に負け、自分が死ぬことが、客観的にも霊的にも、あらかじめわかっていました。

さすがの正成も、死を目前にして迷い、割り切れない葛藤のために心中おだやかではありません。


楠木正成には

「良将は戦はずして勝つ」
→戦わずして領土を護ることがベスト

「死すことが武道ならば、誰か武芸を習はん」
→死ぬことが武道というなら、習う意味は無い。


といった信念がありました。


しかし、後醍醐天皇の臣下としては道と義を貫かなくてはならない。しかし、100%勝てない、とわかる。だから、戦うことを避けて、後醍醐天皇に比叡山に逃げるようにも進言しますが、その意見は退けられます。


正成は己の心の中に生じた、さまざまな思いや迷いをなかなか断ち切ることができなiいまま、正成は戦いに向かうことになります。


味方は700人。対する、足利尊氏軍は50000人です。もっと味方を集めることもできたでしょうから、明らかに「死」を覚悟した上での戦いでした。


そして、湊川の戦いに行く道すがら、当時、その地方で名を馳せていた禅僧、明極楚俊(みんきそしゅん)のところに立ち寄ることにしたのです。


正成は明極(みんき)和尚に問いました。

「そもさんか、生死の境」
(我は生死の境にいます。さぁ、いかがいたしましょう。)



和尚は答えます。

「両頭截断(せつだん)せば、一剣天によりて寒(すさま)じ」
と。


両頭とは「生きる」か「死ぬか」迷っている二つの頭のこと。

それを、一刀のもとに截断(せつだん)してみよ!

その気概をもって振り降ろした覚醒の剣は

「天によって“すさまじい”ものとなる」という意味です。


正成はさらに問います。


「落所は如何」
(「その頭はどこに落ちるのか?」)



そんな明極楚俊は一喝したのです。

「喝(カァーツ)!!」



「答えなき答え」でした。


そのとき、楠木正成は、鎧をつけたまま、ハッとして立ち上がりました。


そうして、立したまま何度も頭を下げ、しばらくしておもむろに言ったのです。


「和尚、まことに有難うござった。一生涯つむぎ、編んできた自分の信念と信仰と求道の糸が、最後の最後に、きれいに結びきれなかったところでござる。誠にありがとうござった」


和尚の喝を受けた、正成公の迷いの雲は瞬時に晴れ、一点の曇りもない心で戦いに赴きます。


生きるか死ぬかなどは関係ない。

ここまできたら、ただ天命ずに従い、堂々と最後まで戦いきるのみだ。


湊川に赴いた正成公は、十三か所にも及ぶ太刀傷を受けても、決してめげることなく、最後の最後まで戦い、見事に最後をしめくくったのです。

誰よりも知略に長けた楠木正成ですが、最後の戦いだけは一切の戦術・技術を捨てて挑みました。

そこに「生き様」を残したのです。


その「生き様」が後の水戸光圀(水戸黄門)に影響を与え、明治維新の原動力になったのです。


   ※


そして、ドラマ「太平記」の楠木正成の死に際のシーンは以下の動画です。


太平記37話 4分50秒頃 ~ 12分00秒頃まで
www.youtube.com/watch?v=Q1ES-7QAHT0


実際、こんな感じだったかどうかはわかりませんが、

正成公が平和な世を願い続けていたのは事実でしょう。

だから、生まれ変わっても、平和を実現するために生きるでしょう。


   ※


先日、湊川神社の楠木正成公の戦没地にお参りしました。


こういった「背景」を知った上で、この地にいくと、こみあげてくるものがありましたね。


楠木正成シリーズは次回でラストにします。


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