羽賀ヒカルの北極流占い

そして、時代は動き出す。オススメ動画つき。


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楠木正成シリーズの続きです。



鎌倉幕府の滅亡の翌年、後醍醐天皇は年号を「建武」と改めて、建武の新政がはじまりました。

しかし、あまりに貴族よりの強引な政治だった上、武士への恩賞の約束も反故にされたため、武士たちの不満は爆発しました。正成も、約束の恩賞はもらえなかったのです。


そうなってしまったことには様々な「背景」があります。

もともと、後醍醐天皇は、武士を嫌っていたこと。

そして、倒幕が一気にすすんだため、天皇中心の政治を行うことが「天命」と勘違いしてしまったのか、政策を強引に押し進めようとしたことが大きいです。


そこで、全国の武士たちに担がれるようにして、足利尊氏は後醍醐天皇のもとを離れ、戦うことに…。

ただし、これは尊氏が望んでそうしたわけではありません。

当初、尊氏は「天皇に反旗を翻すことはできない」と言って寺に引きこもっていました。

しかし、先に挙兵していた尊氏の弟の直義が苦戦していたため、やむなくの挙兵だったのです。

やむにやまれぬ状況で、戦いに駆り出されてしまったのです。


尊氏は後醍醐天皇に反発する武士たちを全軍率いて京へ―。

楠木正成や新田義貞率いる朝廷軍と戦うことに。

ここでも、『正成と義貞は戦死して死んだ』という嘘の情報を流して、敵を油断・混乱させてそのスキに敵を襲うなど、正成の智略が発揮されます。

「戦争は情報戦」であることは、今も昔も変わりません。

尊氏軍は九州に敗走します。

後醍醐天皇達が勝利の美酒に酔いしれている時、正成は次のように天皇に進言します。


「この際に、尊氏と和睦すべきです。私が使者として参りましょう」と。


戦に勝ったのに、敵の大将を和睦をしようとするなんて、当然、受け入れられるはずもありません。

しかし、ここに正成の天才的な霊感と先見の明があります。


「次の時代を担うのは、足利尊氏である」

ということが正成には分かっていたのです。


正成の言ったとおりでした。

九州方面の武士たちの勢力を吸収して、尊氏軍は京都に攻め上ります。


   ※


以下はオススメの動画です。

今回の記事を踏まえて読んでもらうと、感じるものがあります。

楠木正成を説得しようとする足利尊氏のシーンです。

鎌倉幕府の倒幕のために共に戦い、お互いに認め合う二人が決別する瞬間です。

ちなみに、

 足利尊氏→真田広之

 楠木正成→武田鉄也

です。

以下の動画の「12分57秒~22分0秒」まで。

太平記35話
www.youtube.com/watch?v=uT50QKr44NU

こみあげてくるものがありますよ。



【 今回のポイント 】

 1、勝っても調子に乗らない

 2、誰がリーダーとなるべきなのか?見る目を持つ。

 3、戦争は情報戦



 今の時代も、人生もビジネスも情報戦でしょう。

 知ってるか、知ってないか?

 また「真実の情報を見抜く目」を持っているか?

 で決まるといっても過言ではありません。

 正成は、あまりに情報戦に長けていたため、実は全国に情報ネットワークを持っている忍者である、という説もあるぐらいです。


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